脳と心 チンパンジー 記憶 京都大学

【衝撃】5歳のチンパンジーは「0.2秒」で数字9個を覚えた…同じ画面を見た大学生の正答率は…

タッチパネルの上に、1〜9の数字が9個、ばらばらの位置に並ぶ。ボタンを最初の1個だけ触った瞬間、残りの数字は全部、真っ白な四角にすり替わるそれでも、5歳のチンパンジー「アユム」は、白い四角を小さい順に触っていける——というのが今回の話です。2007年12月、京都大学霊長類研究所(愛知県犬山市)の井上紗奈氏と松沢哲郎氏が、英Current Biology誌に発表した論文数字が画面に映るのは、いちばん短い条件で0.21秒この短さでも、アユムはおよそ8割正解した比較のために同じテストを受けた大学生の正答率は、はっきり下だった——というのが結果の骨格です。ただし、これを「チンパンジーは人間より頭がいい」と読むのは、この論文が実際に測ったこととずれていますアユムは生まれて間もない頃から、この課題だけを毎日繰り返してきた個体で、そこも合わせて書きます。

0.21
画面に数字9個が映っていた時間。0.65秒、0.43秒、0.21秒の3条件で比較された。
約80%
アユムが0.21秒条件で1〜9個を正しく順に触れた割合(9個条件、繰り返し試行の平均)。
3
同時に試された若い個体3匹(アユム・クレオ・パル)と、その母親3匹。全員がテスト対象。
2000年生
アユムの誕生年。0歳から母アイと一緒にこのタッチパネルを見てきた個体。

タッチパネルの上、0.2秒で消える数字を追う

まず、テストの中身を絵にすると次のようになります。正方形のタッチパネルに、1〜9の数字が9個、決まった位置ではなくバラバラの場所に一度だけ映るチンパンジーは、まず「1」を触る。触った瞬間、残りの8個の数字は全部、真っ白な四角に変わるそこから、白い四角を「2」「3」…「9」の順に触っていけたら正解——というものです。

ここで大事なのは、「9個を全部、順序込みで覚えていないと最後まで解けない」点。1個ずつたどるのではなく、目に入った瞬間に9個の位置と番号の対応をまとめて頭に置いておく必要がありますこの能力は、大人が「電話番号を一瞬見て、そのまま押す」動きに近い——けれど、番号は9桁で、しかも場所もランダムです。

この論文で有名になったのが、「0.21秒」という条件まばたきの半分の時間だけ数字を映し、そのあと隠すそれでもアユムは、白い四角を1から9まで順に、およそ8割の試行で最後まで正しく触っていった——という結果でした。

画面が消えたあとも、数字の位置と番号の対応がそのまま頭の中に残っていた。

実際の映像。アユムが数字の並びを一瞬で覚え、白い四角を順に触る

チンパンジー「アユム」が数字順に触る映像

Chimps outperform humans at memory task/New Scientist(英ニュー・サイエンティスト誌公式)。今回の論文の結果を、掲載直後に映像付きで紹介したものです。数字が消えたあとの真っ白な画面を、アユムが迷いなく順序どおりに触っていく様子が数秒でわかります。この動画は世界中で拡散し、「チンパンジーの記憶は人間より鋭い」というイメージを一気に広めました(英語ナレーション)。

どう調べたか——チンパンジー3組と、大学生の同じ画面

実験の勘所は、「若いチンパンジーとその母親、それに人間の大学生を、同じ画面で比較した」ところにあります。

◆ ひとことで言うと

京都大学霊長類研究所で暮らすチンパンジー3組の親子(母親と、その子)、あわせて6匹がテストを受けた3匹の子どもは、生まれた直後から母親と一緒に、このタッチパネル課題を毎日見てきた個体たちそこに、比較用として9人の大学生(いずれもこの課題は初めて)を加えた数字が映る時間は、0.65秒、0.43秒、0.21秒の3段階を用意し、それぞれで正答率を比べた——というのが実験の骨格です。

結果は、「大人の母チンパンジーは、若い個体より遅かった」「若い個体の中でもアユムがずば抜けていた」「大学生は、時間が短くなるほど成績が落ちた」という三段構えでした。

  • アユム(当時5歳、若いチンパンジー) → 0.21秒条件でも約80%を維持した。
  • アユムの母アイ、他の母チンパンジー → 若い個体より正答率は低かった。訓練歴は長いが、若い個体ほど鋭い。
  • 大学生9人 → 0.65秒条件でも約80%止まりで、0.21秒条件では40%台まで落ちた。

この論文の見出しになった「若いチンパンジーは、成人の人間より短い時間の記憶で上回る」は、この3つの比較から出てきています。

ここが意外① 「短い時間」ほど、チンパンジーとの差が開いた

ふつう、「記憶」と聞くと、電話番号のように文字を順番に音で覚える形を思い浮かべます。今回の課題は、そちらのやり方では間に合いません0.21秒だと、「いち、に、さん…」と頭の中で音にする時間そのものが取れないそのため、9個の位置を絵として一度に焼き付ける、いわゆる「直観像記憶(eidetic memory)」に近いやり方が必要になると考えられています。

大学生の成績が0.21秒で急に落ちたのは、音で覚えるやり方が使えなくなるから、と説明されています。逆にアユムは、その音を使わないやり方が得意で、時間を短くしても正答率がほとんど落ちなかった——というのが、今回の論文のいちばん強い結果です。

ここから、著者たちは「若いチンパンジーは、進化の中で残した『一瞬で場面を丸ごと覚える能力』を、大人になっても保っている可能性がある」と提案しました。ヒトの子どもも幼いころは似た能力を示しますが、大人になると急速に薄れていく——ことが以前から知られていました。「言葉を身につけたぶん、絵で覚える力を手放したのかもしれない」という仮説と、この論文はよく結び付けて紹介されています。

ここが意外② 人間は「訓練すれば追いつく」と後続研究が示した

ただし、この論文が発表された直後から、専門家のあいだで一つ大きな反論が繰り返されてきました。「アユムは生まれてからずっとこの課題を毎日やってきたが、大学生の側はテスト当日に初めて画面を見た人ばかりだった」という指摘です。

実際、2009年に米ワシントン大のシルバーバーグ氏らが、大学生1人にアユムに近い量の練習をさせたところ、練習が進むにつれ0.21秒条件でも正答率が伸び、最終的にアユムの記録に近い水準まで達しました「チンパンジーが人間より本当に速いのか、それとも訓練量が違っただけなのか」——この分けは、いまも決着していません。

◆ ひとことで言うと

今回の論文が確かに示したのは、「毎日この課題を続けてきた若いチンパンジー1匹は、当日初めて画面を見た大学生の平均を上回った」ということそこから「若いチンパンジーは種として、人間より短時間の記憶が優れている」まで進むためには、練習量をそろえた比較が必要——というのが、その後の議論の中心です。 「動物のほうが賢い」というより、「そもそも公平な比較の作り方が難しい」というのが実情です。

アユムがマスキング課題(9個の数字)を解く様子の生映像

アユムが9個の数字を順に触るマスキング課題の映像

Movie: Masking task (Ayumu, 9 numerals)/TheFriendsAndAi(松沢研の関係者による公開映像アーカイブ)。この動画は、論文で使われたのと同じ「9個の数字を一瞬映してから白四角に置き換える」テストを、アユムが実際に解く生映像です。触るたびに音が鳴り、間違えるとブザーが鳴る仕組みで、順序通りに触れば果物のご褒美が出る、というのがこの課題の作りです。ナレーションはなく、テスト画面と手の動きだけが淡々と続きます。

FIGURE 01 / 表示時間と正答率

時間が短くなるほど、差は広がった

9個の数字を順に触れた率(概略) 100% 0% 0.65秒 0.43秒 0.21秒 アユム 約80% 母チンパンジー 約60% 大学生 約40% 読み方: 短い時間ほど、アユムと大学生の差が広がった。 ※当編集部が論文の傾向を丸めた参考図。アユムは0歳からこの課題を毎日訓練、大学生はぶっつけ本番。
0.21秒条件で差が最大になっています。ただし比較の非対称(訓練量の差)がそのまま数字に効いている可能性が、後続研究で繰り返し指摘されてきました。

この数字の正しい読み方

ここが心臓部です。「チンパンジーは人間より頭がいい」——この論文の発表以降、いちばん独り歩きしやすい一文です。4つに分けます。

1つめ。「アユム1匹の記録」を「チンパンジー全体の性能」と読み替えないこと。 この論文で0.21秒でも80%を出したのは、若い3匹の中でもアユムに強く偏った結果です。同じ条件で、他のクレオ・パルはアユムほどの成績を出していません母チンパンジー3匹の成績はさらに下。「チンパンジーは人間より速い」の主語は、正確には「毎日この課題をやり続けてきた若いチンパンジー1匹は」まで狭めないと、この論文の中身に合いません。

2つめ。大学生との比較は、練習量が同じではありません。 アユムは2000年生まれで、生後まもなくから、母親と一緒にこの数字タッチパネルを毎日見てきた個体です。一方、大学生9人は当日にテスト画面を初めて見た人ばかり2009年のシルバーバーグ氏らの続報では、大学生でも数百回の練習を積めばアユムに近い成績が出た——という結果が出ました。「同じテストで人間が負ける」ことはこの論文が確かに示しましたが、「同じ条件を用意した公平な比較ではない」というのが、その後の議論の合流点です。

3つめ。「直観像記憶」という説明は、まだ仮説の段階です。 アユムの成績を「絵として一気に覚える力」で説明する言い方は、著者たち自身も論文の中で「可能性の一つ」と書いています脳の中でどう保持されているのかは、この方法では確かめられません。ヒトの側についても、「大人になると音の記憶に置き換える」という説明はきれいですが、直接測ったものではない、と考えるのが安全です。

4つめ。「頭のよさ」の話ではありません。 この論文が測ったのは、「0.2秒だけ映る9個の数字の位置と順序を、消えたあとに再現できるか」というたった一つの狭い能力です。言葉、道具、抽象的な計画、他人の気持ちを読む力といった、人間の「頭のよさ」の中心にあるものを、この論文は一切測っていません。だから、「チンパンジーは人間より賢い」という結論は、この論文からは出ません。「特定の課題では上回った」まで、が正確な言い方です。

◆ 誤解されやすい点:「速い」と「賢い」は別

この論文が示したのは、「0歳からこの数字タッチパネルを毎日見てきた若いチンパンジー1匹が、当日初めて画面を見た大学生よりも、0.2秒表示条件で高い正答率を出した」という観察です。 「チンパンジー全般が、人間全般より頭がいい」までは、この論文からは絶対に出ません。同じ課題でも、同じ量の練習を人間側に積んでもらうと、差はほぼ消えることが後続研究で示されています。この論文の価値は、「若いチンパンジーが持つ、一瞬で場面を焼き付ける特定の力を、数値で見せた」ところにあります。

世の中の動き

この論文は発表から20年近く経ちますが、映像のインパクトの強さから、日本のSNSでもいまだに定期的に再拡散されます。

2026年7月、京大チンパンジーの認知テスト映像が「パチンコ屋そっくり」として再バズ

今回の論文で使われたのと同じ研究グループ(松沢研)の、タッチパネルを使ったチンパンジー認知テストの映像がSNSで再拡散されたときの投稿です。数字が高速で切り替わり、チンパンジーが素早くボタンを触る場面が「パチンコ屋そっくり」と話題になりましたが、元の実験そのものは、この記事で紹介した2007年論文と地続きの、記憶と数の理解を調べる長期プロジェクトです。映像の派手さで受け止められがちですが、その裏には「若いチンパンジー1匹の成績を、種全体の性能と読み替えない」という慎重さが必要だ、というのが今回の記事の要点でもあります。

FIGURE 02 / この論文の射程

「言えたこと」と「まだ言えないこと」

この論文が示したこと ・アユムはこの課題で0.21秒でも約80%正解 ・母チンパンジーはそれより成績が低かった ・大学生9人は0.21秒条件で40%台まで下がった ・時間が短いほど、差が開いた ・9個の位置と順序を一気に保持する力を測った ・「直観像記憶」の可能性が提案された = 観察できた成績と条件差 この論文からは言えないこと ・「チンパンジー全体が人間より速い」 ・「チンパンジーが人間より賢い」 ・訓練量をそろえたときの真の差 ・脳のどこで数字を保持しているか ・アユム以外の若い個体でも同水準か ・「絵として覚えている」の直接証拠 = 次の研究が必要なところ
左が今回の到達点、右がまだ確かめられていない領域。「チンパンジーが人間より賢い」という言い方は、左と右のあいだを大きく跨いでしまっているのが分かります。

まとめ

  • 2007年12月、Current Biology誌に京都大学の井上・松沢両氏の論文が掲載
  • タッチパネルに1〜9の数字を映し、消えたあとの位置と順序を答えるテスト
  • 5歳のアユムは、0.21秒表示の条件でも約80%を正しく順に触れた
  • 同じ条件の大学生9人は約40%台まで落ちた
  • アユムは0歳から毎日この課題を訓練してきた個体で、大学生はぶっつけ本番
  • 後続研究(2009)で、大学生も練習を積めば同水準まで伸びることが示された

▲ ここはまだ分かっていない

今回の論文は、京都大学霊長類研究所で暮らす若いチンパンジー3匹の中でも、アユム1匹に強く偏った成績です。「チンパンジーは種として人間より短時間の記憶が上」までは、この論文の設計と比較の非対称からは飛びすぎです。訓練量をそろえた場合の本当の差、アユム以外の若い個体でも同じことが起きるか、脳のどこで数字を一時的に保持しているか——といった問いは、いまも研究が続いています。今回の論文の到達点は「若い1匹の記録として、人間の平均を上回るケースを数値で示した」までであって、「チンパンジーが人間より賢い」までは絶対に言えないことに注意してください。

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SOURCES / 出典

  1. 原論文: Inoue, S., & Matsuzawa, T. "Working memory of numerals in chimpanzees". Current Biology 17(23), R1004–R1005(2007年12月4日). doi:10.1016/j.cub.2007.10.027
  2. 批判論文: Silberberg, A., & Kearns, D. "Memory for the order of briefly presented numerals in humans as a function of practice"(2009, Animal Cognition)
  3. 研究者ページ: Ai Project(京都大学霊長類研究所)
  4. 解説: Chimps outperform college kids in memory test(New Scientist)

※ 数値(アユムの0.21秒条件正答率約80%、大学生9人の同条件約40%台、対象若いチンパンジー3匹+母親3匹、表示時間3段階など)は、原論文Current Biology 17巻23号R1004–R1005および著者らの後続の解説記事に基づく丸めの値です。 「チンパンジーは人間より賢い」といった一般化については、2009年のシルバーバーグらの批判論文(練習量をそろえると差が消えることを示した)を含めて、比較認知科学の中で慎重な扱いが続いています。誤りを見つけられた場合はご連絡ください。