手書きは脳を広く使う。ただし比べた相手は「人差し指1本のタイピング」だった
「手で書いたほうが脳にいい」——この主張の根拠として、世界中で引用され続けている研究があります。256チャンネルの脳波計を36人にかぶせ、書くときと打つときの脳を比べたものです。結果自体は、たしかにきれいに出ました。ただし論文の方法欄には、拡散するときに落ちてしまう一文が書いてあります。
頭に256個の電極をつけて、単語を書かせた
ノルウェー科学技術大学(NTNU)のオードリー・ファン・デル・メール氏らのチームは、大学生にセンサーが256個ついた帽子をかぶせました。水泳帽に電極をびっしり並べたような装置で、頭の表面に届いてくる脳のかすかな電気を拾います。
◆ 脳波って何を見ているの
脳の中では、神経の細胞が電気の合図をやりとりして働いています。その電気は弱いながらも頭の外までしみ出してくるので、
頭に電極を貼れば拾えます。それが脳波です。
頭を切り開く必要はなく、「いま脳のどのあたりが忙しいか」を外から覗けるのが強み。
代わりに「何を考えているか」までは分かりません。
やってもらった課題はシンプルです。画面に単語がひとつ出る。それをデジタルペンで手書きするか、キーボードで打つか。単語はピクショナリー(お題を絵で当てるゲーム)から15個選び、それぞれ2回ずつ、順番をばらばらにして計30回くり返しました。
1回あたり25秒。ただし脳波を調べたのは、最初の5秒だけです。書き出す・打ち出すその瞬間に脳がどう動くかを見たかったからです。
データを最後まで使えたのは36人。全員が右利きの人にそろえてあります。左利きの人は脳の使い方が左右で入れ替わることがあるので、混ざると比べられなくなるからです。
手書きのほうが、脳の結合は明確に広かった
結果は、はっきりしていました。手書きのとき、脳の離れた場所どうしが、リズムを合わせていっせいに働いていたのです。
イメージとしては、オーケストラに近い。ひとつの楽器が鳴っているのではなく、離れた席の楽器が同じ拍で合奏している状態です。この「合奏している度合い」を測ったのが今回の研究でした。
とくに強く合奏していたのが、頭のてっぺんから少し後ろのあたり。指先の感覚をまとめたり、「いま手はどこにあるか」を把握したりする場所とされています。
タイピングでは、この広がりが出ませんでした。打っている最中の脳は、書いている最中の脳よりずっと静かだったのです。
同じ単語を残す作業なのに、脳の使い方は別物だった。
ここが意外① 鍵になるのはシータ波とアルファ波
さっきの合奏のたとえを続けます。オーケストラにも、ゆっくりの曲と速い曲がありますよね。脳の電気も同じで、速さ(リズムの細かさ)ごとに名前がついています。
研究チームが注目したのは、そのうち遅いほうの2つでした。1秒に3〜7回くらいのゆっくりしたリズム(シータ波)と、1秒に8〜12回くらいのリズム(アルファ波)です。
なぜこの2つか。遅いリズムほど、遠く離れた場所どうしを合わせるのに向いているからです。速い曲を離れた席と合わせるのは難しいけれど、ゆっくりした曲なら合わせやすい——それと同じ理屈です。そして脳が記憶をつくるときには、まさにこの「遠くと合わせる」動きが必要になると考えられてきました。
だから論文の筋道は、こうなります。
手書きだと、記憶づくりに関わるリズムでの合奏が広がる。合奏が広いほど学習にいいとされている。ならば手書きは学習にいいかもしれない。
ここで一度、立ち止まってください。「かもしれない」まで。それが、この研究が言えていることのすべてです。
FIGURE 01 / 設計
この実験が測ったもの/測っていないもの
ここが意外② タイピングは「右の人差し指1本」だった
ここがこの記事の中心です。論文の方法欄には、こう書かれています。参加者はキーボードを、右手の人差し指1本で打った。
これは実験としては筋の通った選択です。両手で打たせると左右の脳が同時に動き、手書き(右手のみ)との比較に別の要因が混ざってしまう。片手・1本指にそろえれば、その混入を防げます。
ただし——ここで比較されているのは「手書き」と「日常のタイピング」ではありません。「手書き」と「人差し指1本でキーを探す動作」です。
この点は、公開直後から専門家に指摘されていました。教育評価の研究者ディラン・ウィリアム氏の投稿がその代表です。
ウィリアム氏はもう一点、重要な可能性を挙げています。手書きが有利に見えるのは「望ましい困難(desirable difficulties)」——つまり、作業が適度に面倒であること自体が学習を助けるという、学習科学でよく知られた現象のせいかもしれない、と。
もしそうなら、効いているのは「ペンであること」ではなく「手間がかかること」になります。この2つを、今回の実験は分離していません。
この数字の正しい読み方
整理します。
分母は36人の右利き大学生です。子ども、高齢者、左利きの人については何も言えません。教室での実践に直結させるには、母集団が狭すぎます。
測ったのは5秒間の脳波だけです。記憶テストは行われていません。「結合が広い=よく覚える」は、先行研究に基づく推論であって、この実験の結果ではありません。
手書きもデジタルでした。紙とインクではなく、タッチスクリーン上のデジタルペンです。紙に書く場合と同じかどうかは、この研究では確かめられていません。
相関であって因果ではありません。脳の結合が広いから学べるのか、単に動作が複雑だから脳が忙しいのか、この設計では区別できません。
FIGURE 02 / 誤解と実際
よく言われること vs 論文が言っていること
世の中の動き
この研究は2024年1月の公開から2年半経ったいまも、定期的に拡散しています。
科学系の解説チャンネルでも、公開当時から取り上げられてきました。結果の紹介と同時に「どこまで言えるか」に触れているものを挙げておきます。
◆ では、手書きはやめなくていいのか
この記事は「手書きに意味はない」と言うものではありません。手書きが有利だとする研究は、記憶テストを含むものも含めて他にも複数あります。 言いたいのは「この論文1本を根拠に断定するのは行きすぎ」という一点です。 手書きを続ける理由としては十分ですが、他人に強制する根拠としては足りません。
まとめ
- 256chの脳波計で36人を測り、手書きのときに脳の結合が広く出ることを示した研究
- 強く出たのは頭頂部・中心部、記憶に関わるとされるシータ波とアルファ波の帯域
- ただし比較対象のタイピングは「右手の人差し指1本」に限定されていた
- 記憶テストは行われておらず、「学習によい」は推論であって測定結果ではない
- 手書き側もデジタルペン。紙とインクの話にそのまま置き換えることはできない
▲ ここはまだ分かっていない
この実験は、脳の結合の広さが実際の学習成果につながるかを直接確かめていません。手書きが有利に見える理由が「ペンを使うこと」なのか「作業が面倒であること」なのかも分離されていません。参加者は右利きの大学生36人のみで、教育現場への一般化には追加の研究が必要です。
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- 原論文: Van der Weel F. R. & Van der Meer A. L. H. Handwriting but not typewriting leads to widespread brain connectivity: a high-density EEG study with implications for the classroom. Frontiers in Psychology, 2024. doi:10.3389/fpsyg.2023.1219945
- 大学リリース: Writing by hand may increase brain connectivity more than typing on a keyboard(EurekAlert! / Frontiers)
- 報道: Handwriting may boost brain connections more than typing does(Science News)
- 報道: As schools reconsider cursive, research homes in on handwriting's brain benefits(NPR)
※ FIGURE 02 の左列は、当編集部が確認したネット上の代表的な要約をまとめたもので、特定の個人・媒体の文章の引用ではありません。 誤りを見つけられた場合はご連絡ください。訂正履歴を残して修正します。