【衝撃】ボノボの「カンジ」は、見えないジュースの位置を50回中34回当てていた…人間だけの能力のはずだった…
小さな子どもが、空っぽのカップを差し出して「はい、ジュースどうぞ」と言ってくる——そんな「ごっこ遊び」に付き合ったことがある人は多いはず。「目の前にないものを頭の中に思い浮かべて、話を合わせる」というこの力は、長いあいだ人間だけが持つ特別な能力だと考えられてきました。ところが2026年2月5日、米ジョンズ・ホプキンス大学のアマリア・バストス氏とクリストファー・クルペニェ氏がScience誌に発表した論文によると、言語を訓練されたボノボ「カンジ」は、実験者が「注ぐふり」をした見えないジュースの位置を、50回中34回、正しく指さしていました。2択のチャンスなら半々のはずが、約68%——さらに、本物のジュースと「ふりのジュース」を並べたときには、約8割の確率で本物を選び分けてもいました。ただし、カンジはこの分野でもっとも例外的な1頭であり、この結果をどこまで一般化できるかについては、発表直後から専門家の間で意見が分かれています——そこも含めて書きます。
ボノボの「カンジ」が、見えないジュースの位置を言い当てた
「カンジ」というボノボの名前を、聞いたことがある人もいるかもしれません。1980年生まれのオスのボノボで、赤ちゃんのころから人間の研究者たちと生活し、300語を超える「レキシグラム」という絵文字のような記号を使って、人間と意思疎通できることで知られてきました。8歳のときには、600種類以上の音声の指示を、2歳の人間の子どもより正確にこなせたという記録も残っています。テレビの特集番組で「話す類人猿」として紹介されたこともある、この分野ではもっとも有名な1頭です。
そのカンジが、亡くなる数年前に参加していたのが、今回の実験でした。「ごっこ遊び(pretend play)」——目の前に実物がなくても、頭の中で「ある」ことにして振る舞う遊びは、人間の子どもが2歳前後から自然に始める行動です。これまで、サルや類人猿にも似たような行動の断片は報告されていましたが、「本当に存在しないものを思い浮かべているのか」「単に見慣れた動作をまねているだけなのか」を、実験できちんと切り分けた研究はありませんでした。
◆ ひとことで言うと
研究チームは、子どものお茶会ごっこと同じやり方で、カンジに「注ぐふり」をしたジュースを見せました。そのあと片方のカップだけ「捨てるふり」をして空にし、「ジュースはどこ?」と尋ねます。もしカンジが、頭の中で「まだ入っている」というイメージを保っていられるなら、正しい方のカップを指させるはず——というのが実験の考え方です。
目の前にあるのは、どちらも空っぽのカップ。それでも、片方には「まだ入っている」ことになっている。
どう調べたか——「お茶会ごっこ」を3つの実験に分けた
研究チームがやったことは、次の3段構えです。
- 実験1(ジュース追跡):透明なカップを2つ並べ、透明なピッチャーから両方に「注ぐふり」をしたあと、実験者が片方のカップだけ「飲み干すふり」をして空にする。そのうえで「ジュースはどこ?」とカンジに尋ね、どちらのカップを指すかを記録した。これを50回くり返した。
- 実験2(本物 vs ふり):本物のジュースが入ったカップと、ふりのジュースが「入っている」ことになっているカップを並べて見せ、カンジがどちらを選ぶかを見た。本物と偽物を正しく区別できているかを確かめるための実験で、18回くり返した。
- 実験3(ぶどう):同じ理屈を、飲み物ではなく「ぶどう」に置き換えてくり返した。特定の道具(カップやピッチャー)や、特定の食べ物(ジュース)に対する単なる慣れではないかを確かめるための、いわば追試。
結果、実験1では50回中34回(約68%)、カンジは正しく「まだ入っている」ことになっているカップを指しました。2択のカードめくりなら偶然でも半分は当たるはずなので、68%という数字は、偶然のばらつきだけでは説明しにくい水準だった、と論文は報告しています。実験2では18回中14回(約78%)、本物のジュースの方を選びました。実験3のぶどうでも、同じ傾向がくり返し確認された、と論文は述べています。
ここまでで、「カンジは、少なくともこの実験の枠組みの中では、目に見えないものの位置を、偶然より高い確率で言い当て続けた」ことになります。これが何を意味するのかは、次の2つの節で詳しく見ていきます。
ここが意外① チャンスは半々のはずが、約68%を叩き出した
この実験でいちばん注意深く設計されているのは、「単なる動作のまね」と「本当に頭の中でイメージを保っている」を、どう区別するかという点です。もしカンジが、実験者の身振りをただ機械的にまねているだけなら、毎回どちらのカップを指しても、正解・不正解は五分五分になるはずです。
ところが実際には、実験者が「注ぐふり」→「片方だけ飲み干すふり」という2段階の動作をしたあと、時間を置いてから「ジュースはどこ?」と尋ねても、カンジは高い確率で正しい方を選び続けました。研究チームは、これを「カンジが、目の前にはもう存在しない"ふりのジュース"という架空の対象を、頭の中に思い浮かべたまま保持していた証拠」だと解釈しています。
◆ ひとことで言うと
子どもの「ごっこ遊び」がすごいのは、演技の上手さではなく、「今ここにないもの」を頭の中に置いたまま会話を続けられるところです。研究チームが注目したのも同じ点で、カンジが単に空のカップを指したのではなく、「片方には"見えない何か"がまだ残っている」という区別を保っていたらしいことが、正答率の高さから読み取れる、という主張です。
論文の著者の1人であるバストス氏は、この結果について「カンジは、ふりの対象についてのアイデアを頭の中に作り出しながら、同時にそれが本物ではないと分かっている」と述べています。共著者のクルペニェ氏も「心の働きが"今、目の前にあるもの"を越えて広がっているとしたら、それは大きな意味を持つ」とコメントしています。
ここが意外② 本物とふりを混ぜても、8割近い確率で見分けた
実験1だけでは、「カンジが本物とふりの違いを分かっていない可能性」も残ります。そこで実験2では、本物のジュースが入ったカップと、ふりのジュースが「入っている」ことになっているカップを、同時に並べて見せました。
結果、カンジは18回中14回、本物のジュースが入ったカップを選びました。これは、「ふりのジュース」を本物と混同しているわけではなく、「これは本物」「こちらは、ふりで入っていることになっているだけ」という区別を、同時に頭の中でつけられていたことを示している、と研究チームは考えています。さらに実験3で、ジュースを「ぶどう」に置き換えても同じ傾向がくり返されたことから、特定の道具や食べ物に慣れていただけではなさそうだ、という見立てを補強しています。
FIGURE 01 / 実験1の流れ
空っぽの2つのカップから、「まだ入っている方」を選ばせる
この数字の正しい読み方
ここが心臓部です。「カンジが、偶然より高い確率で正しいカップを指した」——ここまでは、実験で観察された事実です。ただし、そこから「ボノボにも想像力がある」と言い切るには、まだいくつも段差があります。5つに分けて整理します。
1つめ。分母は、たった1頭です。 今回の実験に参加したのはカンジ1頭だけで、他のボノボ、まして他の類人猿での再現実験は、この論文には含まれていません。いくら統計的にきれいな数字が出ても、対象が1個体である以上、「ボノボという種に共通する能力」と言い切ることはできず、あくまで「このカンジという個体で観察された」という段階の話です。
2つめ。カンジは、この分野でもっとも例外的な個体です。 カンジは生まれてすぐから半世紀近く、人間の研究者たちと日常的に暮らし、300語を超えるレキシグラムを使ったやり取りを、幼いころから徹底的に積み重ねてきました。研究チーム自身も、「人間の言語環境で育てられた(エンカルチュレーション)経験が、この能力を引き出す土台になった可能性がある」と述べており、野生のボノボや、言語訓練を受けていない一般的な類人猿が同じ成績を出せるかは、まったく別の検証が必要です。
3つめ。批判的な見方をする研究者もいます。 霊長類学者のダニエル・ポヴィネリ氏は、カンジが「頭の中でイメージを保持していた」のではなく、「実験者が直前に触れたカップ」のような、もっと単純な手がかりに反応していただけの可能性を否定しきれないと指摘しています。心理学者のマイケル・トマセロ氏も、カンジ自身が「注ぐふり」の動作を積極的に真似るような場面が観察されていれば、より強い証拠になったはずだと述べ、行動の記録だけでは決め手に欠けると注文をつけています。研究チームの1人であるバストス氏自身も、「カンジの視力がたまたま悪かっただけかもしれない」「本人が"本物のジュースがある"と誤解していただけかもしれない」という対立仮説を、論文の中でいくつも検討し、否定材料を積み重ねる形で報告しています。
4つめ。「偶然より高い」は「絶対に正しい」ではありません。 68%や78%という数字は、あくまで偶然のばらつきでは説明しにくいという統計上の判断であって、カンジが毎回まちがいなく分かっていたという意味ではありません。3割前後は不正解だったという事実も、そのまま受け止める必要があります。
5つめ。カンジはすでに他界しており、追試ができません。 カンジは、この論文が発表される前年の2025年3月に、44歳で死去しました。今後、カンジ本人を使った追加の検証は不可能で、研究チームは今後、言語訓練を受けていない他のボノボや類人猿でも同じ実験をくり返し、この能力がカンジだけの特殊な学習の産物なのか、それとも類人猿に広く共有された力なのかを確かめたいとしています。
◆ 誤解されやすい点:「証拠が見つかった」と「証明された」は別
この論文が示したのは、「人間の言語環境で半世紀近く育てられた、きわめて例外的な1頭のボノボが、実験の中で偶然より高い確率で"見えないものの位置"を言い当てた」という報告です。 これは「ボノボ全般に想像力がある」ことが証明された、という意味ではありません。批判的な研究者からは、より単純な手がかりで説明できる可能性も指摘されています。この論文の価値は「人間以外の動物でも検証できる形に、"想像力"という捉えどころのない概念を実験の土俵に乗せた」ところにあって、論争に決着をつけたものではありません。
FIGURE 02 / この論文の射程
「言えたこと」と「言ってはいけないこと」
世の中の動き
この論文は、Science誌への掲載と同時に世界中で報じられ、「話す類人猿」として知られていたカンジの、遺作とも言える研究発表として大きな注目を集めました。
英自然史博物館の著名な古人類学者クリス・ストリンガー氏が、論文が公開された当日に投稿したものです。専門分野をまたいで、この論文が話題になったことがうかがえます。一方でカンジは、この研究の実験が行われた数年後、論文の発表を待たずに2025年3月、44歳で死去しています。日本語圏でも、その死去は大きく報じられていました。
絵本作家の江口絵理氏が、カンジの死去を報じた朝日新聞のコラム「天声人語」を紹介した投稿です。「〇〇ができるのは人間だけ、という思い込みを壊してくれた存在」というこの投稿は、今回の想像力の研究が発表されるおよそ10か月前のものですが、カンジがどれだけ「人間だけの能力」という線引きを何度も揺さぶってきた存在だったかを、よく表しています。
まとめ
- 2026年2月5日、米ジョンズ・ホプキンス大学のバストス氏・クルペニェ氏がScience誌に発表
- 言語訓練を受けたボノボ「カンジ」が、見えない「ふりのジュース」の位置を50回中34回(約68%)的中
- 本物とふりのジュースを並べた実験でも、約78%の確率で本物を選び分けた。ぶどうでも同じ傾向
- ただしカンジは1頭のみ。半世紀近い人間との生活と言語訓練を経た、きわめて例外的な個体
- 「もっと単純な手がかりで説明できるのでは」という批判も、複数の研究者から出ている
- カンジは論文発表前の2025年3月に44歳で死去。今後は他のボノボ・類人猿での追試が課題
▲ ここはまだ分かっていない
この実験の対象はカンジ1頭だけで、他のボノボや類人猿での再現実験は、この論文には含まれていません。カンジは生後まもなくから半世紀近く、人間の研究者と暮らし、300語を超えるレキシグラムを使った濃密な言語訓練を受けてきた、きわめて特殊な生育歴の持ち主です。この能力が、野生のボノボや、言語訓練を受けていない類人猿にも共通するものなのか、それとも人間との濃密な関わりの中で初めて引き出される特別な力なのかは、まだ分かっていません。また、霊長類学者のダニエル・ポヴィネリ氏らからは、「実験者が直前に触れたカップ」のような、もっと単純な手がかりで結果を説明できる可能性も指摘されています。研究チームはこれらの対立仮説を論文内で複数検討していますが、完全には排除しきれていません。そしてカンジ本人はすでに他界しており、この個体を使った追試は二度とできません。「想像力の起源が数百万年前にさかのぼる証拠が見つかった」という段階ではなく、「その可能性を実験で検証する新しいやり方が示された」段階だ、というのが現時点でもっとも正確な受け止め方です。
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- 原論文: Bastos, A.P.M. & Krupenye, C. "Evidence for representation of pretend objects by Kanzi, a language-trained bonobo". Science 391(6785): 583–586(2026年2月5日)。 doi:10.1126/science.adz0743
- 研究機関: Johns Hopkins University(米国)
- 解説: A bonobo's pretend tea party is rewriting what we know about imagination(ScienceDaily)
- 解説: Kanzi the famous bonobo may have understood 'pretend' objects(Scientific American)
※ 数値(50回中34回・68%、18回中14回・約78%、300語、44歳など)は、原論文Science 391巻6785号および、ScienceDaily・Scientific American・NBC News・Science News・Mongabayなど複数の解説報道に基づく丸めの値です。 実験3(ぶどう)の詳しい試行回数・正答率は、参照した二次資料の中には具体的な数字が示されていなかったため、本文では「同じ傾向が確認された」という論文の記述にとどめています。 誤りを見つけられた場合はご連絡ください。