彦根城はなぜ世界遺産候補に選ばれたのか。姫路城と「同じ土俵」で戦わなかった34年の理由

彦根城はなぜ世界遺産候補に、姫路城と勝負しない理由
✒ コラム / 図版:タネアカシ編集部

2026年9月3日、彦根城が世界文化遺産の国内候補に推薦されることが決まりました。1992年に暫定リストへ記載されてから、実に34年です。ニュースの多くは「悲願達成」「30年越し」という言葉で伝えていますが、それだけでは足りません。彦根城が34年かけて手に入れたのは登録の順番ではなく、姫路城と比べられない「別の勝ち方」でした。

彦根城に何が起きたのか

国の文化審議会は2026年9月3日、滋賀県彦根市の彦根城を、2028年度の世界文化遺産登録を目指す国内候補として推薦することを決めました。彦根城は1992年、将来の世界遺産登録を目指す国の暫定リストに記載されています。そこから今回の推薦決定まで、34年という歳月がかかったことになります。

今後は政府が2026年9月末までに暫定版の推薦書をユネスコへ提出し、2027年2月1日までに正式な推薦書を出す予定です。ここまで進めば、2028年の世界遺産委員会で審査され、登録の可否が判断されます。国宝5城のひとつである彦根城にとって、これは34年間で最も現実的な位置まで来た瞬間です。

彦根城は、姫路城・松本城・犬山城・松江城と並ぶ国宝5城のひとつです。天守が国宝に指定されている城は全国にわずか5つしかなく、そのうち姫路城だけが世界文化遺産に登録されている状態が、1993年からずっと続いていました。「国宝なのに世界遺産ではない城」という位置づけを、彦根城は30年以上背負ってきたことになります。

📌 出典: 京都新聞、読売テレビ(Yahoo!ニュース配信)、NHK滋賀県版のニュース、彦根市公式サイトの発表内容をもとに作成。解釈と考察は当サイトが独自に執筆しています。

34年間、彦根城を足止めしていたもの

彦根城が長く足踏みしてきた理由として各メディアが共通して挙げるのが、姫路城とのバッティングです。姫路城は1993年、法隆寺とともに日本で最初に世界文化遺産へ登録された城郭建築で、17世紀の木造城郭建築の様式美そのものが「人類史上の傑作」として評価されました。

世界遺産の審査は、同じ時代・同じ種類の価値を持つ資産を、同じ国から重ねて登録することに慎重です。彦根城も姫路城と同じ近世の天守を持つ城である以上、「城の美しさ」という同じ物差しで語り続ける限り、姫路城の下位互換としてしか扱われないという構造的な不利がありました。暫定リストに載ったまま推薦候補にすら進めない年が、30年近く続いた背景です。

この間、彦根市や滋賀県が何もしてこなかったわけではありません。国宝天守や、実戦を想定した縄張りが今も残る貴重さを訴え続け、市民団体による署名活動や、専門家による価値の再検証も重ねられてきました。それでも「美しい木造天守」という説明の仕方を変えない限り、審査する側からは常に姫路城と並べて見られてしまう。努力の量ではなく、努力の向け先そのものが問題だったというのが、この34年間の実態に近いはずです。

彦根城が34年間乗り越えられなかったのは、城の格ではなく「姫路城と同じ土俵」だった。

この停滞を破ったのが、2024年10月に公表されたICOMOS(国際記念物遺跡会議)の事前評価です。ユネスコの諮問機関であるICOMOSが、正式な推薦の前に価値づけへ助言する制度で、ここで彦根城は「登録の可能性がある」との評価を得ました。評価の中身が、それまでとは違っていました。

彦根城が見つけた「違う土俵」

ICOMOSが示したのは、彦根城を「大名統治システム」を体現する資産として位置づける見方です。関ヶ原の戦いののち、徳川家康の命による「天下普請」で20年かけて築かれた彦根城は、井伊家が幕府の意を受けて京と江戸をつなぐ最前線を治めた、政治的な支配の仕組みそのものでした。姫路城が「建築としての美」で評価されたのに対し、彦根城は「統治の仕組みを可視化する資産」という、まったく別のジャンルで評価される道を選んだのです。

天守や櫓の美しさを競えば、築城技術の完成度で先行する姫路城に分があります。しかし「徳川の平和はどうやって250年も保たれたのか」という問いに答える資産として見た瞬間、比較の相手は姫路城ではなくなります。井伊家という譜代大名筆頭が、京と江戸のあいだという最重要拠点に置かれ、幕府の意志を体現する城として機能し続けた事実そのものが、彦根城だけが持つ価値になるからです。同じ城でも、何の代表として提示するかで、勝負する相手ごと変わる。これがICOMOS評価の転換が持つ意味です。

  • 彦根城が暫定リストに記載:1992年
  • 姫路城が世界文化遺産に登録:1993年12月
  • 彦根城のICOMOS事前評価公表:2024年10月(「登録の可能性がある」)
  • 国内候補への推薦決定:2026年9月3日
  • 正式な推薦書の提出期限:2027年2月1日まで
  • 世界遺産委員会での審査目標:2028年

これは、彦根城だけの特殊な話ではありません。同じ市場に後から現れた挑戦者が、先行者とまったく同じ指標で戦えば、ほぼ確実に「劣った二番手」としてしか評価されないという構造は、観光地に限らずビジネスやスポーツでも繰り返し起きています。姫路城という強すぎる一番手がいる限り、彦根城は「姫路城ほどではない城」で止まり続けたはずです。評価される軸そのものを「建築美」から「統治システム」へ動かしたことで、彦根城は初めて姫路城と比較されない場所に立ちました。

実際、姫路城は世界文化遺産登録後にオーバーツーリズムへの対応を迫られ、拝観料の二重価格制を導入するに至っています。彦根城が同じ「建築の美しさ」の看板で登録を目指していたら、行き着く先も似た混雑対策だったかもしれません。統治の仕組みという物語で登録を目指す彦根城は、姫路城とは違う客層・違う楽しみ方を提示できる可能性も持っています。

この構図は、後発の挑戦者が業界最大手と同じ土俵で戦い続けても、良くて二位止まりにしかなれないという状況によく似ています。先行者と同じ軸で「もっと美しい」「もっと高性能」と訴えるほど、比較の対象が自分から先行者になり、勝てない勝負に自分から入っていくことになる。彦根城が34年かけてたどり着いたのは、比べられる場所から降りて、比べようがない場所に立ち直すという遠回りの近道でした。

「後付けの美化では」という反論に答える

ここまでの見立てには、当然強い反論があります。自分で書いておきます。「大名統治システムという説明は、登録の見通しが立ってから都合よく用意されたストーリーに過ぎないのではないか。彦根城の資産価値そのものが姫路城に劣っていたから、遠回りさせられていただけではないか」という指摘です。実際、価値づけの言葉はいくらでも後から磨き直せます。

それでも、この件を単なる後知恵とは言い切れません。理由は、評価軸の転換が2024年10月のICOMOS事前評価という正式な手続きの中で、結果が出る前の時点で記録されているからです。登録が決まってから語られた美談ではなく、審査の途中で軸を変えた経緯が公的な発表として残っています。加えて、日本は「北海道・北東北の縄文遺跡群」や「明治日本の産業革命遺産」のように、単体の建造物の美しさではなく、複数の資産が示す仕組みや過程で評価を得る手法をすでに何度も使ってきました。彦根城の再定義は、思いつきの延命策ではなく、文化庁がこれまでの登録戦略から学んできた勝ち筋の延長線上にあると見るべきです。

もうひとつ付け加えるなら、この批判が完全に的外れとも思いません。彦根城の建築そのものが姫路城に劣っているという評価が、今回の再定義を後押しした面は確かにあるでしょう。価値の再定義は、弱さを認めたところから始まっているとも言えます。ただし、弱さを認めたうえで別の強さを探しにいった行動と、弱さを認めずに同じ土俵に居座り続けた行動とでは、結果がまったく違います。34年のうち後半の十数年は、まさにその探索に費やされた時間だったはずです。

補足: 世界遺産委員会での最終的な登録の可否は、2028年に予定される審査を経るまで確定していません。国内候補への推薦決定は、あくまで長い手続きの「出発点」です。登録を保証する段階ではないことは、はっきり分けて理解しておく必要があります。

彦根城に行ったことがありますか?

よくある質問

彦根城はなぜ世界遺産の登録にこれまで時間がかかったのですか?

彦根城は1992年に世界遺産の暫定リストに記載されましたが、同じ近世城郭建築である姫路城が1993年に先に世界遺産登録されていました。世界遺産は同じ種類・同じ時代の価値を重複して登録しにくいため、姫路城と重ならない独自の価値を示す必要があり、その準備に34年を要しました。

彦根城と姫路城の世界遺産としての価値の違いは何ですか?

姫路城は17世紀の木造城郭建築そのものの様式美が評価されて登録されています。一方、彦根城は文化庁のICOMOS事前評価で「大名統治システム」、江戸幕府による支配の仕組みを示す資産として位置づけられており、建築の美しさではなく統治の仕組みという別の切り口で評価されようとしています。

彦根城はいつ世界遺産に登録される見込みですか?

政府は2026年9月末までに暫定版の推薦書を提出し、2027年2月1日までに正式な推薦書をユネスコに提出する予定です。順調に進めば2028年の世界遺産委員会での審査・登録を目指していますが、最終的な登録の可否はその審査を経るまで確定していません。

まとめ

彦根城の34年は、負け続けた歴史ではありません。姫路城と同じ土俵に立ち続けている限り勝ち目がないと気づき、評価される軸そのものを探し続けた34年です。城の美しさでは敵わなくても、統治の仕組みという物語では姫路城と比べられない。この転換は、観光地の話にとどまらず、後発の挑戦者が強すぎる先行者とどう向き合うかという、ずっと普遍的な問いへの一つの答えでもあります。

もし彦根城が2028年に登録されれば、訪日客が過去最多を更新し続けるいまの状況で、また新しい観光地が一つ生まれることになります。姫路城のような大混雑を避けられるかどうかも、彦根市がこれからどんな物語を語り続けるかにかかっています。

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