采配批判はなぜ止まらないのか、巨人からドジャースまで共通する「後知恵バイアス」という正体
9月2日、京セラドームでの巨人対DeNA戦。延長10回、代打で送られた甲斐拓也が凡退し、巨人は敗れました。ネットでは「ありえない采配」の声が相次ぎましたが、同じ選手への同じ批判は6月にも起きています。よく見ると、この現象は巨人だけでも野球だけでもありません。阪神、楽天、中日、そしてMLBドジャースまで、この夏だけで同じ構図が繰り返されていました。なぜ采配批判は、監督が誰であっても、チームが誰であっても、こんなに規則正しく毎週起きるのでしょうか。
巨人だけではない、この夏だけで起きていたこと
9月2日の巨人対DeNA戦は、延長10回2死という同じ場面で、両チームの明暗が分かれた試合でした。DeNAは8回に代打・筒香、10回に代打・宮下と、代打策を2度的中させて逆転勝ち。一方の巨人は同じ10回、代打の甲斐拓也が凡退して試合終了となりました。ネット上では「ほんまに訳わからん」「それはアカン」といった声が上がり、代打で起用された甲斐の打率の低さが批判の的になりました。
ただし、これは巨人に限った話ではありません。同じ夏、他球団でも同じ構図が繰り返されていました。
- 阪神: 藤川監督のモレッタ起用や死球への抗議に「なぜ批判」の声が集中(阪神・藤川采配になぜ批判、モレッタ起用の是非)
- 楽天: 借金24まで負け越したチーム状況の中、吉井采配に批判が集中(楽天まさかの借金24、吉井采配になぜ批判)
- 中日: 申告敬遠のあとにサヨナラ負けを喫し、井上監督の采配にSNS批判が殺到したと報じられている
- 横浜DeNA: 相川監督の采配に対し、辞任を求める声までSNSで見られたと報じられている
- MLBドジャース: 連敗が続いた8月、ロバーツ監督に対し米メディアからも「疑問に思わざるを得ない」という酷評が出ている
プロ野球だけではありません。サッカーJ1でも、9月2日の試合後に鹿島アントラーズ・鬼木達監督の采配へ批判の声が上がったと報じられました。ロバーツ監督は8月に入ってから5勝10敗という結果を受け、米メディアから「なぜ彼はもっと」という趣旨の指摘を受けています。相川監督についても、辞任を求める声がSNSで見られたのは今シーズンだけで一度ではありません。
監督の経験も実績も、国もリーグもばらばらのチームで、なぜこれほど画一的に同じ現象が起きるのでしょうか。答えは「今季の監督たちがそろって采配下手だから」ではありません。もっと構造的な理由があります。
📌 出典: スポーティングニュース日本版(Yahoo!ニュース)、 RONSPO(Yahoo!ニュース)、 Sirabee、 ベースボールチャンネル(Yahoo!ニュース)。 解釈と考察は当サイトが独自に執筆しています。
「後知恵バイアス」——なぜ人は"最初から分かってた"気になるのか
心理学には後知恵バイアスという言葉があります。物事の結果を知ったあとで、その結果があたかも最初から予測可能だったかのように錯覚してしまう心の働きです。1975年、心理学者バルーフ・フィッシュホフとルース・ベイスが発表した研究がよく知られています。ニクソン大統領が訪中・訪ソでどう行動するかを事前に予測させ、実際の結果が判明したあとで「自分は最初どう予測していたか」を思い出させたところ、多くの人が自分の予測を無意識に結果寄りに書き換えていました。
采配批判の多くは、この構造とそっくりです。代打を送る瞬間、その選択が成功するか失敗するかは誰にも分かりません。相手投手との相性、直近の調子、ベンチに残る選手層。監督はその場で入手できる情報をもとに、確率の高いほうに賭けているだけです。ところが結果が出た瞬間、私たちの脳は「そんな選手を使うなんて、最初から失敗するに決まっていた」という物語に、記憶ごと書き換えてしまいます。
結果が出た瞬間、采配の「良し悪し」はいつも「結果」に書き換えられる。
証拠に、同じ場面で結果が逆だったらどうなっていたかを考えてみてください。9月2日の試合で、DeNAの代打・宮下と筒香は結果を出したので「会心の采配」と呼ばれています。もし打てていなければ、巨人の甲斐と同じように「なぜあの場面でその選手を」と批判されていたはずです。采配そのものの中身は変わっていないのに、結果というたった一つの変数だけで評価が180度反転する。これが後知恵バイアスの正体です。
スポーツの采配は、この心理を観察するうえで、実はとても分かりやすい実験材料でもあります。会社の経営判断が「正しかったかどうか」は数年後にしか分かりませんし、正解と比較する術もありません。ところが野球の代打策は、その日、その場面のうちに「打った」か「打てなかった」かという二択で白黒がつきます。結果がすぐに、しかも誰の目にも明らかな形で出るからこそ、後知恵バイアスも一瞬で、大量に発生します。プロ野球やサッカーの采配批判がSNSで際立って目立つのは、監督たちが特別に叩かれやすい職業だからではなく、判断と結果の因果が可視化されやすい構造にあるからだと考えられます。
巨人・甲斐拓也の代打が、二度も同じように叩かれた理由
この構造がとりわけよく見えるのが、巨人・甲斐拓也のケースです。6月30日のヤクルト戦、甲斐は開幕を2軍で迎え、当時ファーム打率.206という状態で代打起用されました。この時もSNSでは「意味がわからん」「代打甲斐はないだろ」という声が相次ぎました。一方で「山野と相性良いし全然ありの采配」「相性を考えれば理解できる」と、起用の理屈に理解を示す声も一定数あったと報じられています。
そして9月2日、状況はほぼ繰り返されました。今度は打率.067という、さらに厳しい数字での代打起用。結果は凡退。批判の声は、6月とほとんど同じ言葉で再び噴き上がりました。
ここで注目したいのは、起用する側には毎回それなりの理屈があるという点です。相手投手との対戦成績、キャッチャーとしての起用歴、ベンチに残る選手構成。今回のように、その理屈に納得する声が試合前後に一定数存在していたことも、複数回にわたって確認できます。しかし、それらの冷静な意見は、失敗という結果が出た瞬間にタイムラインから押し流されます。SNSでは「当たった」投稿より「外れた」直後の怒りの投稿のほうが感情的で拡散されやすく、あとに残る記録には後知恵の視点だけが積み重なっていくのです。同じ選手が同じように叩かれる光景が繰り返されるのは、監督が学習していないからではなく、私たちの記憶と記録のほうが、結果が出るたびにリセットされているからだと考えられます。
この非対称性は、投稿のタイミングを分けて見るとはっきりします。打席に入る前、「この起用は理解できる」という投稿は、賛否の一部として静かに流れていくだけです。ところが凡退した瞬間、同じ話題は一気に怒りの言葉とともに拡散し、まとめサイトやスポーツニュースの見出しにもなります。試合前の冷静な意見と、試合後の怒りの声とでは、そもそも拡散される力そのものが違うのです。結果として私たちが目にする「世論」は、実際の意見分布ではなく、後知恵バイアスによって増幅された一部の声である可能性があります。
「結果論で片付けるな」という反論への応答
ここまでの内容には、当然強い反論があります。いちばん強いものを、自分で書いておきます。
「結果論という言葉で守ってしまうと、本当に無能な采配まで免罪符を得てしまう。プロの監督には結果責任が伴う。批判は当然のガバナンス機能であり、それを『後知恵バイアス』と片付けるのは、批判そのものを封じる詭弁ではないか」。この指摘は正しいと思います。結果責任を問われる立場である以上、监督への批判そのものを無効化してはいけません。
それでも、私たちはこう考えます。問題は「批判すること」ではなく、「いつ生まれた批判か」を区別しないことにあります。
区別の基準は単純です。その采配について、結果が出る前から、根拠とともに懸念する声が存在したかどうか。「この相手投手には分が悪い」「直近の調子を考えると厳しい」といった指摘が、打席に入る前からすでにあったのであれば、それは后から騒いでいるだけの后知恵ではなく、正当な事前分析です。逆に、打席に入る前は誰も声を上げず、凡退した瞬間にだけ「ありえない」の大合唱が起きるなら、それは采配の質を評価しているのではなく、結果という後出しの情報に反応しているだけです。
実際、この基準で見分けがつく例もあります。無死一塁でのバント采配は、送りバントによって得点確率がむしろ下がるという分析が統計的に広く知られており、失敗する前から「もったいない」と指摘されることの多い戦術です。これは結果を待たずに批判できる、根拠のある指摘です。一方、9月2日の代打策のように、打席に入る前は理屈に納得する声も一定数あったのに、凡退した瞬間だけ批判一色に変わるものは、後知恵バイアスの側に近いと言えます。
この区別を意識するだけで、批判の質は変わります。「結果が悪かったから叩く」のをやめろとは言いません。ただ、次に同じ場面を見たとき、自分がその采配を「結果を知る前」から疑問視できていたかどうかを、一度だけ自分に問い直してみてほしいのです。
采配が叩かれる場面を見たとき、あなたはどちらに近いですか?
よくある質問
後知恵バイアスとは何ですか?
物事の結果を知ったあとで、その結果が最初から予測可能だったと錯覚してしまう心理現象です。1975年に心理学者フィッシュホフとベイスが発表した研究では、ニクソン大統領の外交成果を事前に予測させた実験で、結果を知ったあとの被験者ほど「自分は最初からそうなると思っていた」と記憶を書き換えることが確認されています。
采配批判はすべて後知恵バイアスで、正当な批判は存在しないのですか?
いいえ。区別すべきは、その判断が下る前から根拠とともに懸念されていたかどうかです。事前のデータ(対戦成績や左右の相性、直近の調子)にもとづいて「この選択は危険だ」と結果が出る前に指摘されていたなら、それは正当な分析です。結果が出てから初めて「ありえない」という声だけが噴き上がるものが、後知恵バイアスの典型です。
なぜSNS時代にこの現象がとくに目立つようになったのですか?
結果が出た直後の投稿は感情を伴って拡散しやすく、試合前の「この選手で合っている」といった冷静な投稿は誰の目にも留まらず埋もれてしまうためです。あとに残るタイムラインには失敗を断罪する投稿だけが積み重なり、後知恵の視点だけが記録として固定されていきます。
まとめ
采配批判が毎週のように起きるのは、今季の監督たちがそろって采配下手だからではありません。結果を知った瞬間、私たちの記憶と評価が容赦なく書き換えられてしまう、後知恵バイアスという構造がそこにあるからです。
次に「ありえない采配」というタイムラインを見かけたら、一度だけ立ち止まってみてください。その采配を、結果を知る前から疑問視できていたか。それができていたなら正当な批判です。できていなかったなら、あなたが見ているのは監督の失敗ではなく、自分自身の記憶が結果に書き換えられた瞬間かもしれません。
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