野球選手はなぜ引退後に不安を抱え続けるのか、「解説者になれば安心」という幻想の正体

【物議】野球選手の引退後不安43%、解説者幻想の正体
✒ コラム / 図版:タネアカシ編集部

「解説だけで生活を成り立たせようとするのは無理」。2026年9月8日、Full-Countはこう語る元ロッテ捕手・里崎智也氏の発言とともに、NPBの調査結果を伝えました。若手選手の43%が、引退後の生活に不安を抱えているという数字です。この不安を「甘え」の一言で片づける前に、なぜこの数字が何年経っても消えないのかを考える必要があります。

いま、この「43%」が話題になっている理由

Full-Countによれば、NPBは2025年4月、現役の若手プロ野球選手を対象に、セカンドキャリアに関するアンケート調査を実施しました。回答者のうち約43%(116人)が「引退後の生活に不安がある」と回答し、その理由の76%が「収入面」だったといいます。数字そのものは目新しいものではありません。似た調査は過去にも繰り返し行われ、そのたびに近い水準の不安が報告されてきました。

不安の理由として76%が挙げた「収入面」という言葉は、抽象的に聞こえるかもしれません。しかし中身は単純です。現役時代の年俸が、引退の翌日から別の水準に置き換わるというだけの話です。数千万円単位で暮らしを組み立てていた人が、翌年からまったく違う金額で暮らしを組み立て直す。この落差の大きさそのものが「不安」の正体であり、性格や覚悟の問題として片づけられる話ではありません。

この調査結果を受けて、ポッドキャスト番組「Full-Count LABー探求のカケラー」に出演した里崎智也氏は、はっきりとした苦言を口にしています。「自分がやりたくてやっていて、なんで誰かが、その先の人生に責任を持って進路指導してくれって、学生じゃないんだよ」。そのうえで「解説だけで生活を成り立たせようとするのは無理」と現実を指摘し、最も現実的なセカンドキャリアは大手企業に正社員として所属できる社会人野球だ、と提言しました。

実はこの調査、今年始まったものではありません。NPB公式サイトの掲載履歴を確認すると、「現役若手プロ野球選手へのセカンドキャリアに関するアンケート」は2011年度から2025年度まで、毎年欠かさず実施され続けています。裏を返せば、この不安は一時的な世相の反映ではなく、15年近くにわたって同じ調査で観測され続けてきた、慢性的な現象だということです。

先にお断りします。 本稿は、里崎氏の発言の是非を採点するものではありません。ここで扱うのは、なぜ同じ種類の不安が、世代を超えて同じ割合で観測され続けるのかという、この報道より前からずっと存在してきた問いです。

📌 出典: Full-Count東洋経済オンラインもっと野球NPB.jp 日本野球機構。 解釈と考察は当サイトが独自に執筆しています。

「解説者になれば安心」を作っているのは何か

プロ野球選手が引退後の進路として真っ先に思い描きやすいのが、テレビやYouTubeで活躍する解説者の姿です。里崎氏自身、解説者・YouTuberとして登録者93万人を抱える発信者であり、若手選手にとって「引退後もうまくいっている先輩」の代表格に見えても不思議はありません。

ですが、ここに見落とされがちな仕掛けがあります。毎年、各球団を合わせて数十人規模の選手が戦力外通告を受ける一方で、テレビや主要な配信番組で継続的に解説の座を得られる元選手の数は、ごく限られています。若手選手が日常的に目にする「引退後の元プロ」の姿は、その限られた椅子に座れた一部の顔ぶれに、どうしても偏ります。

テレビに映る「成功したOB」は、母集団のごく一部でしかない。

これは心理学でいう生存者バイアスに近い構造です。うまくいった事例だけが目立つ場所に集まり、うまくいかなかった大多数は画面の外にいるため、見えている情報だけで全体を判断すると実態からずれてしまう。「解説者になれば安心」という期待は、この見えにくさの上に成り立っています。里崎氏本人が「無理だ」と言い切っているのは、皮肉にも、その椅子の少なさを一番よく知る当事者だからでしょう。

規模の差はさらにはっきりしています。Full-Countによれば、2025年シーズンだけで12球団合計157人が戦力外通告を受けました。この一年だけで、です。これに対して、地上波やCS、主要な動画配信で継続的に解説の座を得ている元選手の数は、多く見積もっても数十人の桁に収まります。単純に割り算するだけでも、「解説者になれる」確率は、はじめから狭き門だとわかります。それでも解説者という選択肢が「憧れの進路」として語られ続けるのは、狭き門を通り抜けた人だけが、いちばん目立つ場所にい続けるからです。

数字で見る、引退後の実際の進路

では実際の進路はどうなっているのか。東洋経済オンライン(2020年4月15日)が日本プロ野球選手会事務局長・森忠仁氏に取材した記事によれば、引退した選手のおおよその内訳は次のように紹介されています。

  • 50%が、球団職員として球団に残る
  • 15~20%が、独立リーグや海外を含めて現役を続ける
  • 残る約30%が、一般企業への就職や起業など野球以外の道に進む

この内訳を見る限り、進路そのものが完全に閉ざされているわけではありません。むしろ半数は球団という組織の中に居場所を持ち続けています。問題は、その先で年俸が現役時代とは桁違いに下がるケースが多いことです。数千万円から数億円だった年俸が、球団職員としての給与や一般企業の初任給水準に置き換わる変化は、金額の大きさゆえに生活実感としての落差が大きくなります。

もうひとつ見落とされがちなのが、「一般企業への就職」がニュースになりにくいという事情です。球団職員として裏方に回った元選手や、一般企業で働き始めた元選手は、テレビの特番にも、ネットニュースの見出しにもほとんど登場しません。彼らの人数は解説者になれた一部の人数より、はるかに多いにもかかわらずです。目立つ場所に情報が集まり、目立たない場所には情報が集まらない。この非対称性こそが、若手選手の頭の中にある「引退後の選択肢マップ」を、実態よりずっと狭いものにしていると考えられます。

なお、ネット上では「プロ野球選手の8割が自己破産する」という話がしばしば語られますが、野球専門メディア「もっと野球」の検証記事は、この数字について公的なデータでの裏付けは確認できないと明記しています。派手な浪費で生活が破綻した個別の事例が繰り返し取り上げられるうちに、実態以上に誇張されて広まったとみるのが妥当でしょう。不安の正体は「破産する確率」ではなく、収入が急激に落ち込むという構造そのものにあります。

プロ野球選手の引退後の備えは、自己責任だと思いますか?

「甘えだ」という反論への応答

ここまでの話に対しては、当然、強い反論があります。いちばん強いものを、里崎氏自身の言葉から拾っておきます。

「自分がやりたくてやっている仕事なのだから、その先の人生設計まで誰かに面倒を見てもらおうという発想がそもそもおかしい」。プロ野球選手は現役時代、同世代の会社員よりはるかに高い年俸を数年にわたって受け取ります。その間に将来へ備えるかどうかは、本人の選択に委ねられている部分が大きい。この主張は筋が通っています。実際、球団職員の座を得て安定した生活を築いている元選手も少なくありません。

それでも、私たちはこう考えます。「自己責任で備えるべきだ」という結論そのものが正しくても、毎年新しく戦力外になる選手たちが、毎年ほぼ同じ割合で同じ不安を抱え続けているという事実は消えません。個人の資質や意識の問題であれば、同じ調査を重ねるたびに数字は改善に向かうはずです。ところが2018年の調査でも、2021年の調査でも、そして2025年のこの調査でも、近い水準の不安が繰り返し観測されています。

これは、原因の少なくとも一部が個人の外側にある可能性を示しています。現役の間に「引退後」を具体的に考える機会や情報が、どれだけ制度として用意されているか。解説者という限られた椅子ではなく、社会人野球や一般企業といった現実的な選択肢を、いつ、誰から知らされるか。ここが整っていなければ、どれだけ本人が努力しても、選べる進路の幅そのものが狭いままです。里崎氏が「社会人野球が最適」と提言したこと自体、この情報の届き方に課題があると本人が感じている証拠とも読めます。

「学生じゃないんだよ」という指摘は、進路を丸投げする姿勢への戒めとしては正しい。ただ、正しい戒めと、正しい対策は別のものです。個人に自覚を求めるのと同時に、球団やNPBの側が「解説者になれるのはごく一部で、大多数はこういう進路をたどっている」という等身大の情報を、早い段階で選手に見せる仕組みを持てるかどうか。ここが変われば、少なくとも「知らなかった」ことによる不安は減らせるはずです。

よくある質問

43%という数字はどんな調査から出たのですか?

NPBが2025年4月に実施した、現役の若手プロ野球選手を対象にしたセカンドキャリアに関するアンケート調査に基づく数字です。Full-Countが2026年9月8日に報じたところによると、回答者の約43%(116人)が引退後の生活に不安を感じており、そのうち76%が「収入面」を理由に挙げています。

プロ野球選手の引退後、実際にはどんな進路が多いのですか?

日本プロ野球選手会事務局長への取材(東洋経済オンライン)によれば、約50%が球団職員として球団に残り、15~20%が独立リーグや海外でプレーを続け、残る約30%が一般企業への就職や起業など野球以外の道に進むとされています。

「プロ野球選手の8割が自己破産する」というのは本当ですか?

公的なデータでは確認されていない俗説です。派手な浪費や引退後の生活設計の失敗で経済的に苦しくなった個別の事例が広まり、実態以上に誇張されて語られてきたとみられます。

まとめ

「解説だけで生活は無理」という里崎氏の言葉は、厳しいようでいて誠実です。彼はその椅子の少なさを、誰よりも近くで見てきたからです。問題は、この現実が若手選手全員に、同じ解像度で伝わっているとは限らないという点にあります。

43%という数字を「今どきの若い選手は甘い」で片づけてしまうと、来年も再来年も、同じ調査で同じような数字が出るはずです。実際、この調査は2011年度からほぼ形を変えずに続いており、その間ずっと似た水準の不安が記録されてきました。見えている成功者の裏側にある「見えていない大多数」に目を向けることが、この数字を動かす唯一の出発点だと考えます。

解説者の椅子は、今年もおそらく増えません。増やせるのは、解説者になれなかった側の進路を、恥ずかしいものとして扱わない空気のほうです。それができたとき初めて、来年のアンケートの数字が動き始めるはずです。

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