熱中症対策義務化から迎えた最初の夏、死傷者数は過去最多なのに死者だけ39%減った理由

熱中症対策義務化、初年度に死傷者最多も死者だけ39%減った理由
✒ コラム / 図版:タネアカシ編集部

「熱中症対策義務化」と聞くと、多くの人は「これで職場の熱中症は減るはずだ」と考えます。ところが、義務化から迎えた最初の夏、厚生労働省が公表した数字はその期待を裏切るものでした。職場の熱中症死傷者数は統計開始以来の最多を更新したのです。ただし、同じ統計をもう一段深く見ると、死亡者数だけは大きく減っています。この矛盾は何を意味するのでしょうか。

「義務化した年」に起きた矛盾したデータ

2025年6月1日、労働安全衛生規則が改正され、職場における熱中症対策が罰則付きで義務化されました。対象はWBGT(暑さ指数)28度以上または気温31度以上の環境で、連続1時間以上あるいは1日4時間を超える作業です。事業者には、体調不良の労働者を早期に見つけて報告させる体制の整備、対処手順の作成、関係者への周知が義務付けられ、違反すれば6カ月以下の拘禁刑または50万円以下の罰金が科されます。

この規則が最初に丸ごと適用された夏、つまり2025年(令和7年)のデータを厚生労働省が公表しました。職場の熱中症による死傷者数(死亡・休業4日以上)は1,803人で、前年の1,257人から546人、率にして約43%増加しました。これは統計を取り始めて以来もっとも多い数字です。

📌 出典: 厚生労働省「令和7年『職場における熱中症による死傷災害の発生状況』(確定値)」時事通信。 解釈と考察は当サイトが独自に執筆しています。

業種別に見ると、製造業が365人(全体の20.2%)でもっとも多く、建設業292人(16.2%)、商業237人(13.1%)、運送業220人(12.2%)、警備業199人(11.0%)と続きます。発生時期は7月と8月に集中しており、7月718人・8月583人の2カ月だけで全体の7割を超えます。

ところが、同じ統計の中で一つだけ逆方向に動いた数字があります。死亡者数です。令和6年の31人から令和7年は19人へと、12人・約39%減少しました。業種別の死亡者数でも、もっとも多い建設業ですら5人にとどまっています。

「死傷者数は過去最多」「死亡者数は大幅減」。同じ制度の同じ夏に、正反対のニュースが同時に成立している。これが、この記事で扱う矛盾です。

死者だけが減った理由、「見つける仕組み」が命を救った

今回の規則改正の中身を見ると、死亡者数だけが減った理由は説明がつきます。改正の考え方は「見つける」「判断する」「対処する」という3段階です。労働者本人に自覚症状があるとき、あるいは周囲の誰かが異変に気づいたときに、それを報告させる体制をあらかじめ整えておくことが義務化されました。

具体策として厚生労働省が例示しているのは、2人以上の労働者が同時に作業して互いの体調を確認し合うバディ制や、心拍数などを常時計測するウェアラブルデバイスの活用です。いずれも、本人が「まだ大丈夫」と思い込んでいる段階、つまり本稿で何度も扱ってきた正常性バイアスが働いている最中に、周囲や機械が先に異変を検知する仕組みです。

死傷者数という「間口」を広げたからこそ、死亡という「最悪の出口」を防げるようになった。

熱中症は、初期症状の段階で水分補給や冷却、休憩といった対処ができれば、多くの場合は重症化を避けられます。逆に言えば、重症化する事例の多くは「異変に気づかれるのが遅れた」ケースです。報告体制の整備によって、この「気づかれるのが遅れる」時間そのものが短縮されたのだとすれば、死亡者数の減少は偶然ではなく、制度設計どおりの結果だということになります。

もちろん、これは因果関係を完全に証明するものではありません。しかし、義務化の狙いが最初から「熱中症をゼロにすること」ではなく「熱中症を重症化させないこと」に置かれていた点を踏まえると、死亡者数の減少こそが、この制度がもっとも測りたかった指標だったと考えられます。

実際、厚生労働省自身も、報告体制や対応手順の整備といった重篤化防止対策が「一定の効果を発揮した可能性がある」と説明しています。これは、被害をゼロにする制度ではなく、被害の質を変える制度として設計されていたことの裏付けとも読めます。防げなかった熱中症を、防げる熱中症に変える。義務化の意味は、そこにあったと考えるのが自然です。

死傷者数が増えた理由は、猛暑だけではない

では、なぜ死傷者数のほうは過去最多になったのでしょうか。理由は一つではなく、性質の異なる二つの要因が重なっていると考えられます。

  • 猛暑そのものが記録的だった。総務省消防庁によれば、2025年5〜9月の熱中症による救急搬送人員は全国で100,510人。統計を取り始めた2008年以降で初めて10万人を超え、過去最多を更新しました
  • 報告義務化によって「見えていなかった軽症例」が統計に乗った可能性がある。これまでは、現場で対処して終わっていた軽い熱中症の申告が、報告体制の整備によって記録されやすくなったと考えられます
  • 年代別では、搬送者のうち65歳以上が57,433人と全体の57.1%を占め、高齢化が進む現場ほど影響を受けやすい構造がうかがえます

一つ目の「猛暑要因」は、義務化とは無関係に被害の母数そのものを押し上げます。どれほど優れた対策を講じても、そもそも危険な環境で働く時間が去年より長ければ、被害件数は増えて当然です。

二つ目の「見える化要因」は、当編集部の推測です。厚生労働省がこの点を明言した発表は確認できていません。ただし、義務化の中身が「体調不良者を報告させる体制の整備」そのものである以上、報告される件数が制度によって増えるのは、むしろ制度が意図した動きに近いとも言えます。今まで「これくらいなら大丈夫」と本人も現場も判断していた軽症例が、統計として拾われるようになったのだとすれば、それは制度の失敗ではなく、制度の可視化効果です。

補足: ここで示した「見える化」による増加という解釈は、当編集部が公開データから導いた推測です。厚生労働省の統計そのものは、軽症例が増えた理由を「猛暑」と「報告体制の効果」に分けて説明していません。断定はできない前提でお読みください。

数字だけを見て「対策は失敗した」と言い切るには、母数の変化を無視しすぎている。

「結局、義務化は失敗だった」という反論への回答

ここまでの見方に対して、当然もっとも強い反論があります。自分で書いておきます。

「理由がどうであれ、被害に遭った人の数は過去最多になった。それが事実のすべてであり、義務化が被害を防げなかったことに変わりはない」。この指摘は正しい部分があります。制度は「罰則付き」であるにもかかわらず、実際に立件された事例はほとんど報じられておらず、元請けと下請けが混在する建設業や警備業のような現場では、末端の労働者まで体制が行き届いているか確認しづらいという構造的な弱さも残っています。中小企業にとって、ウェアラブルデバイスの導入や休憩所の整備がコスト負担になっている現実も否定できません。

それでも、私たちはこう考えます。「死傷者数」という一つの数字だけで制度の成否を判定するのは、指標の選び方として粗すぎるということです。

被害の重さは本来、件数と深刻度の掛け算で測るべきものです。今回のデータは、件数(死傷者数)は増えたが、深刻度の最終形である死亡だけは減ったという、方向の異なる二つの動きを同時に示しています。件数の増加だけを取り上げて「失敗」と断じるのは、深刻度の改善という、もう半分のデータを見なかったことにする行為でもあります。

制度はまだ施行から最初の夏を終えたばかりです。中小企業への浸透や、下請け構造の末端まで体制が届いているかどうかは、今後の運用実績を見なければ判断できません。罰則が実際にどう運用されるかも、まだ事例が乏しい段階です。「1年目の数字だけで白黒つける」のではなく、死亡者数という後戻りのできない指標がどう推移するかを、来年以降も追い続けるべきだと考えます。

もう一つ付け加えるなら、この種の安全規制は、施行初年度にもっとも粗く運用されるのが通例です。中小企業向けの説明会や助成制度が整うのは、たいてい2年目以降になります。今回のデータを「制度が根づく前の、いわば助走期間の数字」として見るなら、来年・再来年のデータのほうが、制度の実力をより正確に映し出すはずです。

あなたの職場は、体調不良を「すぐ言い出せる」空気ですか?

よくある質問

職場の熱中症対策義務化とはどんな制度ですか?

2025年6月1日に施行された労働安全衛生規則の改正です。WBGT(暑さ指数)28度以上または気温31度以上の環境で、連続1時間以上または1日4時間を超える作業を行う事業者に対し、体調不良者を早期に見つけて報告させる体制の整備、対処手順の作成、関係者への周知を法的義務として課しています。違反した事業者には6カ月以下の拘禁刑または50万円以下の罰金が科されます。

なぜ義務化した年に死傷者数が過去最多になったのですか?

主な理由は二つ考えられます。一つは2025年の夏が観測史上でも記録的な猛暑で、熱中症の搬送者数自体が全国で初めて10万人を超えたこと。もう一つは、報告体制の整備が義務化されたことで、これまで表に出てこなかった軽症例まで統計に反映されるようになった可能性です。後者は当編集部の推測であり、厚生労働省が明言しているものではありません。

死亡者数が減ったのは本当に対策の効果ですか?

断定はできませんが、可能性は高いと考えられます。今回の規則改正は「見つける・判断する・対処する」という初期対応の仕組み化に主眼を置いており、バディ制やウェアラブルデバイスによる早期発見が、重症化する前の対処につながったと厚生労働省も説明しています。死傷者数という母数が増える一方で、最悪の結果である死亡だけが減っている点は、対策が機能した傍証と読めます。

まとめ

「熱中症対策義務化」というニュースは、「死傷者数が過去最多」という数字だけを切り取れば失敗に見えます。しかし同じ統計の中に、死亡者数だけが39%減ったという、方向の異なる事実が並んでいました。

件数が増えたことと、深刻度が下がったことは両立します。むしろ、報告される件数が増えること自体が、この制度が目指した「隠れていた異変を早く見つける」という設計と矛盾しません。

来年の夏、この数字がどちらの方向にさらに動くのか。死傷者数がまた増えても、死亡者数が減り続けているなら、それは制度が根づき始めている証拠として読むべきです。逆に死亡者数が反転して増えれば、そのときこそ本当の意味で制度の限界を疑う必要があります。

関連記事:甲子園 熱中症でも変えられない理由、身内の構造 / 高齢者がエアコンを使わない理由、電気代だけではなかった

▶ 次に読む ⚽ スポーツ 物議「お得意様日本ハム戦」テロップ、TVQが謝罪の理由 お得意様日本ハム戦というテロップにSNSで批判が相次ぎ、TVQ九州放送が9月2日に謝罪しました。地元びいき演出はどこまで許されるのか、経緯と賛否を整理します。

🔗 あわせて読みたい