置き去りしつけはなぜ繰り返されるのか、富士山6合目で7歳児が一人にされた8月20日

【考察】置き去りしつけがなくならない理由、富士山でも起きた
✒ コラム / 図版:タネアカシ編集部

「置き去りにする」という古いしつけの話を、私たちはまた聞くことになった。8月20日、富士山6合目で7歳の男児が一人残され、警察に保護された。理由は「ぐずったから」。10年前の北海道の事件と、驚くほど同じ構図だ。なぜこの「しつけ」は、繰り返し危険だと報じられても、なくならないのだろうか。

富士山6合目で何が起きたか

8月20日午前7時半ごろ、静岡県警富士宮署に、富士山6合目の山小屋関係者から通報が入った。「子供が一人でいる」。駆けつけた警察官が保護したのは、愛知県名古屋市に住む7歳の男子小学生だった。

男児は父親らと3人で富士山を登っていたが、途中でぐずついたため、父親から6合目付近で待っているように伝えられ、一人残された。父親はそのまま登山を続けたという。男児にけがはなく、警察官に保護されたあと父親に引き渡された。静岡県警は「グループで登山する場合は一番体力のない人に合わせ、離れ離れにならないよう、お互いに声を掛け合いましょう」と呼びかけている。

先にお断りします。 本稿は、この父親個人の判断を断定的に非難するものではありません。男児にけがはなく、警察の指導のみで終わっています。ここで考えたいのは、この件を含め、しつけを理由にした「置き去り」が繰り返し起きる構造そのものです。

📌 出典: 静岡放送(SBS)テレビ静岡静岡朝日テレビ。 解釈と考察は当サイトが独自に執筆しています。

「今回だけ」ではない、繰り返されてきた手口

「しつけのための置き去り」がニュースになったのは、今回が初めてではない。もっとも記憶に新しいのは、2016年5月、北海道七飯町で起きた事件だ。ドライブ中に言うことを聞かなかったことを理由に、両親が小学2年の男児(当時7歳)を山中の林道に残して立ち去った。男児は6日間、自衛隊の演習場内の建物で水道の水を飲みながら過ごし、無事に保護された。

当時の報道によれば、父親は「親としての威厳を示さなければ」という思いから、男児に反省を促すために山中へ置き去りにしたと説明したという。理由の中身は、今回の富士山の一件ともよく似ている。「言うことを聞かせるために、あえて突き放す」という発想そのものは、10年経ったいまも、形を変えずに存在している。

この事件は当時、「しつけか虐待か」という大論争を巻き起こした。それでも10年経ったいまも、同じ構図の出来事が起きている。子供を叱る手段として、車や登山道に子供だけを残す。ほとんどの場合は数分から数十分で親が戻り、何事もなく終わる。だからこそこの方法は、「効果があった」という体験として、多くの家庭に静かに残り続けている。

「置き去りにするしつけ」が消えないのは、失敗した例だけがニュースになり、うまくいった例は誰も語らないからだ。

実は、子供の安全を守るための行動そのものが、感情的な反発を招くことも珍しくない。当サイトでは以前、子供用ハーネスが「かわいそう」という批判を集める理由を取り上げたが、そこにも似た構図がある。安全のための道具や手段が、見た目の印象だけで賛否を分けてしまう。置き去りのしつけは逆に、「昔からある方法だから」という理由で、危険性への評価が甘くなりやすい。

こども家庭庁がまとめた令和5年度の児童相談所における児童虐待相談対応件数は22万5,509件で、過去最多を更新した。内訳をみると、ネグレクトは3万6,465件で全体の16.2%を占める。置き去りは、法律上はこのネグレクトに分類される行為だ。

なぜ「危険」と言われても親はやめないのか

専門家はこれまでも繰り返し、置き去りのようなしつけに効果がないと指摘してきた。恐怖で言うことを聞かせても、それは学びではなく、ただの服従だという主張だ。それでも実際には、この方法をやめない親がいる。理由は、この批判が「効くか効かないか」という土俵だけで行われてきたからだと考える。

私たちが注目したいのは、別の角度だ。生存者バイアスという考え方がある。第二次世界大戦中、帰還した爆撃機の被弾箇所だけを見て装甲を厚くしようとした技術者たちに対し、統計学者は「本当に守るべきは、帰ってこられなかった機体が撃たれた箇所だ」と指摘した逸話で知られる。目に見えるデータは、生き残った事例に偏っているという話だ。

置き去りのしつけも、同じ構造を持つ。ほとんどの場合、子供は数分後、親が戻ってくるまでにおとなしくなり、何事もなく再会する。この「うまくいった」体験は、ニュースにならない。友人や親戚に誇らしげに語られることもない。ただ、その親自身の記憶の中に、「効果があった」という一件として静かに積み上がっていくだけだ。

一方で、富士山や北海道のように、子供が本当に一人になってしまった例だけが、大きく報じられる。統計的には少数のはずの「失敗例」だけが可視化され、多数のはずの「うまくいったように見える例」は誰の目にも触れない。結果として、この方法を試した多くの親は、自分自身の体験を根拠に「うちは大丈夫だった」と判断し続けることになる。

この非対称は、家庭の外にも広がる。友人や親戚が「うちも一度だけやったことがある」と打ち明けても、その話はたいてい笑い話として流れて消える。失敗した話だけが、通報・報道という重い形で記録に残る。同じ行為の「重み」が、成功例と失敗例とであまりに違いすぎることが、この構造をより強くしている。

このように、個人の判断ミスに見える出来事の裏に、目に見えない構造がある、という指摘は今回が初めてではない。当サイトは以前、避難した人が建物に戻ってしまう理由でも、「戻ってしまう人が弱いのではなく、戻らずに済む設計になっていないだけだ」と書いた。今回の話も、根っこは同じだと考えている。

つまり、「置き去りしつけ」がなくならないのは、親が危険性を知らないからでも、心が冷たいからでもない。自分自身の成功体験という、もっとも強い証拠が、外部からのどんな警告よりも先に、その親の中にすでに存在しているからだ。

「親の資質の問題では」という反論への応答

ここまでの話に対しては、当然、強い反論がある。いちばん強いものを、自分で書いておく。

「結局、それは判断を誤った個人の問題ではないか。生存者バイアスという理屈は、置き去りにした親を免罪するための言い訳にすぎない」。この批判は筋が通っている。実際、ほとんどの親は、子供を置き去りにせずに同じ状況を乗り切っている。しつけの方法はほかにいくらでもある。

それでも、私たちはこう考える。個人の判断力に期待するだけの対策では、次の同じ出来事を防げない。

理由は単純だ。置き去りにした親を非難しても、次に同じ状況、つまり子供がぐずり、疲れ、周りに誰もいない状況に置かれる別の親が、同じ選択をする確率はほとんど下がらない。その親にとって、他人の失敗談よりも、自分自身が積み重ねてきた「今までは大丈夫だった」という感覚のほうが、圧倒的に説得力を持つからだ。

本気でこの「しつけ」を減らしたいなら、打つ手は「気をつけましょう」という呼びかけだけでは足りない。

  • 登山ツアーやガイド同伴の行程では、離脱・置き去りを禁止事項として明文化し、出発前に周知する
  • 体力差のある子供連れが多い登山道や行楽地に、「置いていかなくても休める」休憩・待機ポイントを整備する
  • 保護責任者遺棄罪にあたりうる行為であることを、免許更新の講習や母子手帳配布時など、接点の多い場面で具体的な事例つきで伝える

こうした仕組みは、どれも即効性のある特効薬ではない。それでも、親一人の判断力だけに頼るより、次に同じ状況に置かれる人の選択肢を確実に増やせる。

「危険だ」という警告を強くするだけでなく、置き去りにしなくても済む状況そのものを増やすこと。それが、成功体験という一番手強い相手に対抗できる、数少ない方法だと考える。

補足: 刑法218条の保護責任者遺棄罪は、幼い子供を保護すべき責任のある者が遺棄した場合に成立しうる。しつけの名目であっても、子供の生命・身体に危険が及ぶ状態になれば、この罪が成立しうるとされる。「しつけだから問題ない」という理屈は、法律上の免罪符にはならない。

子供のしつけで「一時的に一人にする」方法をどう思いますか?

よくある質問

置き去りしつけとは何ですか?

子供が言うことを聞かなかったときに、車や登山道などにあえて一人にして反省を促す、しつけの手法の一つです。多くの場合は数分から数十分で親が戻りますが、子供の年齢や場所によっては、迷子や事故につながる危険をともないます。

しつけを理由に子供を置き去りにすると犯罪になりますか?

なる可能性があります。刑法218条の保護責任者遺棄罪は、保護する責任のある者が子供を遺棄し、生命・身体に危険が及ぶ状態にした場合に成立しうる犯罪です。しつけという名目は、この罪の成立を妨げる理由にはなりません。

「危険」と繰り返し言われても、なぜこの方法はなくならないのですか?

この記事では、危険性が伝わっていないからではなく、生存者バイアスが働いているためだと考察しています。多くの場合は何事もなく終わるため、その「成功体験」が親の中に積み重なり、まれに起きる深刻な失敗例より強い説得力を持ってしまうためです。

まとめ

8月20日の富士山6合目の一件は、けがもなく、数十分で終わった出来事だった。それでも、10年前の北海道の事件と同じ構図が繰り返されたことに、私たちは注目したい。

10年前も今回も、子供にとって最悪の結果にはならなかった。けれど、その「最悪にならなかった」という結果こそが、次の「置き去り」を後押ししてしまう。

「置き去りにするしつけ」がなくならないのは、警告が足りないからではない。多くの親の記憶の中に静かに積み重なった「うまくいった」という体験のほうが、外部からのどんな警告よりも強い証拠として働いているからだ。

この構図を崩すには、個人の自制心に期待するだけでは足りない。置き去りにしなくても子供を落ち着かせられる環境そのものを、私たちの側が用意していく必要がある。次にあなたが、疲れてぐずる子供を前にしたとき、頭によぎるのが「少し痛い目を見せれば分かる」ではなく、「休める場所はどこか」であってほしい。

関連記事:時事・社会の記事一覧 / 生活・お金の記事一覧

▶ 次に読む 🎮 ゲーム 物議PETシューターレプリカ、Switch2限定に批判殺到 スプラトゥーン3の新ブキ「PETシューターレプリカ」は、性能こそ既存ブキと同じですが、入手には約6万円のSwitch2本体と『スプラトゥーンレイダース』のクリアデータが必要です。Switch1勢からは批判の声も上がっています。

🔗 あわせて読みたい